雨垂れ石を穿つ

子育てってどんなイメージですか?

 

髪はボサボサ、自分の身なりは後回し、いつもイライラ、心はトゲトゲ。お肌はボロボロ、体もヘロヘロ。夫は口先ばかりで役に立たないし、せっかく仕事復帰しても時短勤務で会社の人からは遠回しに役立たず扱いされて、その上子供が熱出して早退した日には「もう戻って来なくていいのに~」って言いたげな顔を浮かべられて肩身は狭いわ、家に帰って慌ててご飯の用意をしても子供はちゃんと食べてくれないわ、取り込んだシワシワの洗濯物はたまる一方だというのに仕事から帰ってきた夫は呑気にビール飲んでテレビ見ながら笑ってるわ。あー、何もかもホント腹立つ!!!私だって一人だったらもっと輝いていて動けるのよ!私だって私の人生羽ばたけるんだから!!!

 

なんて思っていませんか?

 

出産も育児も暗くて深くてそれはそれは息苦しいもののように思っていました。「足枷」のような。子供を持ったら好きなことに時間もお金も割けない、自分のことは後回し、そんな脅しばっかり受けて、子供を持つことに興味が持てなかったのも仕方なかったと思います。まだまだキャリアも積めていない、むしろ駆け出しの私にとっては、子供を産むということ=自分の人生を諦めること、くらいに思っていました。

 

でも、実際に授かって子供と暮らしていると、毎日楽しかったんです。戻る職場がなくても、甲府でやりたい仕事が見つからなくても、それでも良いやっ、永遠に幸せっていうくらい楽しかったんです。

 

台風が過ぎ、夏が舞い戻り、スイカを着たがる息子。「見て〜!自分でズボンはけたよ〜!」と言うので振り向いたら、夫のゴーグルをかけて誇らしげに立っていました。まもなく2歳5か月。

 

ある朝目覚めたら、どこからかルドンの蜘蛛シールを取り出してきてお腹に貼り、「見てみて〜、真っ黒くろすけだよ〜!」と起こしてきた息子。確かに。

 

主婦の仕事は終わりがなくて、突き詰めようと思うと際限ない世界。超クリエイティブ。ましてや子供たちの命を預かる仕事。その上、夫や子供の体調管理、家計の管理、家の管理もして、大層責任重大であるからもはや一企業の社長?家庭が良い方向に傾くか、悪い方向に傾くかも、自分の裁量次第。もはや子育ては壮大なプロジェクトだと思えてきました。この壮大なプロジェクトが成功するかどうかは自分にかかっている。そう思うと、今までだったら我慢できなかったこともちっぽけなことに思えてきて、よくするためにはどうしたら良いか、どうやったらうまく動くか、そんな風に考えれるようになりました。

 

気は抜けないけれど、やりがいの点でいうとこれ以上の仕事はないというくらい、毎日学習と発見の繰り返しで、目に見える成果があって、こどものおかげで社会とも繋がっていられて、こんなに面白いことがあったんだと目から鱗でした。もっと早く産んでいればよかった、と心底後悔しました。なんで誰もこの楽しさを教えてくれなかったんだろう、と。

 

最近、上の子が撮影する次男や風景がなんとも言えず良い写真で、こんな風に世界を切り取るんだ、と感動してしまいます。

 

散らかったおもちゃも美しい。

 

いつの間にか長男が撮っていた次男の寝顔。まもなく8か月。

 

ただ、こどもと私で向き合って暮らしていても意味はなくて、お互いにたくさんの人に触れることが大事だと思うようになってきて、自分の心身の健康があってこそこどもとも朗らかな関係でいられると思うようになってきました。ただただ楽しくて幸せな時間だけを過ごしていても意味がないな、と。
人間は衣食住が足りていれば生きていける、などと言いますが、そんなことはないと気づいたのも同じ頃でした。

 

幸せな一方で、自分の心が飢えて渇いて死にそうになっているなと。

 

DVDじゃなくてスクリーンで映画が観たいし、大音量で音楽が聴きたいし、とにかく作品がみたくてたまらなかったと気づきました。

 

1人目を産んだあとは満たされた気持ちになったのに、2人目を産んだあと、心も体もぽっかり穴が空いてしまって、それを何かで充したくて仕方なくなりました(こどもが嫌だったわけではありません)。

そして、そろそろ何か仕事も探して動き出さなきゃ、と重い腰をあげて、保育園・幼稚園探しや仕事探しをはじめました。

 

でも、私がやっていた仕事は甲府にはない。

やりたい仕事がある東京へ通うことも考えたけれど、金銭面でも赤字、「やりがい」と「キャリア」をとったとしても家族が滅びていく姿がありありと目に浮かびました。

 

家族を壊してまでやるべきなのか悩みましたが、それも一瞬でした。

 

よし、こうなったら甲府で自分がやりたいことやっていこう、と。

 

自分が住む街で自分の見たいものが見れるようになれば、わざわざ子供達を引き連れて東京まで出向く必要もない。自分で呼んじゃえばいいんだ、あれこれ悩んだり文句言う前に、自分でやってみてダメだったらまた考えよう。そう気づいたらもう走り始めていました。

 

それで、いろんな縁が繋がって、元銭湯だった「竹の湯」さんで展覧会を開催することになりました。

 

2017年9月18日(月)付、山梨日日新聞 朝刊 社会面にて、竹の湯での展覧会「Flowing out」の紹介記事。

 

 

2日間限りの現代アートと現代工芸の展覧会。

展示するアーティストは自分たちが尊敬する・応援したい大好きな方々を。

脱衣所マルシェでは大好きな店やアーティストのグッズを販売。

まるっきりの自主企画で、まるっきり純粋に自分たちが作品を見たい人たちにお願いしました。

(自主企画なのでスポンサーも大募集しています。詳細は flowingout2017@gmail.com か末尾にあるDMの電話番号までお問い合わせください。)

 

時間はかかりましたが、とにかく動き出せることが嬉しいです。

 

東京に住むアーティストのもとへの打ち合わせにも、銭湯のオーナーさんへの挨拶や相談にもこどもを連れていきました。普通の仕事だったら「なに考えてるんだ」と嫌な顔をされそうなのに、みんな優しく受け入れてくれ、それどころか、展示でもこども達も楽しめるものにしようと一緒に知恵を絞ってくれました。勇気を出して動き出してみてよかった。

 

こどもと暮らしながら思うことは、「こどもはこども、大人は大人」と区切るのではなく、共存して生きていくためにどんな場所やどんな努力が必要か、そのために何ができるのか、と言うことです。

 

今は小さな滴かもしれないけれど、10年後、20年後、数十年後の未来に、何か残せるよう継続していきたいです。こども達が成長した時、この街でたくさんの文化や人に触れられるように。

 

雨垂れ石を穿つ

 

小さなこの一滴一滴がいつしか頑強な石に穴を開け、新しい景色を見せてくれる気がしてなりません。

 

展覧会の会場となる元銭湯「竹の湯」外観。

 

先日、会場となる銭湯のオーナーさんに言われました。

「あなたもこんな小さなこども達抱えて本当によく頑張ってるわね。実はね、最初は、できるはずないわって思っていたの。あなたも小さな子二人も抱えているし。こんな場所で展覧会なんかできるのかしらって。でも、できるのね。うちにも新しい風が吹きそうよ、って古い知り合いに話しておいたわよ。」と言われて涙が出そうでした。

 

私の心は今、とっても潤っています。

こども達が育っていくこの街で(この街を)どうにかしたいと思ったから行動に移すことができた、今回の企画。

自分一人だったらこんなにこの街を楽しめなかったし、楽しもうともしなかったし、向き合おうともしなかったし、遠い未来のことなんて考えてもいなかったに違いない。こんな出会いもなかった。

子育てって思いもよらないパワーや出会いをくれる。

 

若い頃の自分に教えてあげたい。

 

ぜひ遊びにいらしてください。

もちろんお子さんやお孫さんを連れて。銭湯に行くつもりで、気軽に。

 

展覧会のDM。
写真:砺波周平、デザイン:Miho Tarui