4歳

上の子がこの春で4歳になる。

3歳までとは違う、うまく言えないけれど違うフェーズに入ってしまったんだと少し寂しさが募る。

 

山梨に来てからというもの、夫はいつも仕事でいなくて、気がつけば全部1人でやっていた。

土日にいないのは当たり前なので、子供達を連れて散歩していると「なんだか今日はやけにファミリーが多いなぁ」と思うと土日だったりして、世の中は休日だということに気がついたりする。

 

身寄りもいない、友達もいない、家族もいない中で知らない土地で暮らしていくということ。

体がしんどくてもすぐに頼れるところもない。

助けてもらうにも「遠慮」が生じる。

これはどんなに頑張っても消えない。

 

自分でいろんな活動をしているので、友達も応援してくれる人もたくさんになった。

街に出れば誰かに会えて、話すだけでも励まされる。

今、私を助けてくれるのは他人と子供達。

まるで大人のような発言で私を励ましてくれる4歳の息子。

無邪気な笑顔で癒してくれる2歳の息子。

 

でも、肝心のパートナーはいつも不在。

助けてくれるのはいつも他人。

 

家族とは一体なんなんだろうかと思う。

 

周りの友達と話してみても、女性が「夫婦ってなんだろう。家族ってなんだろう。」と深く深く考え続けているのに対して、男性はほとんど意識がないように感じる。

 

おそらく「今、自分が頑張ることが家族のためだから。いつかわかってくれる。」と思っているのだろう。

 

でもそのいつかがきた時には、あなたの大切なパートナーは倒れて死んでいるかもしれない。

子供達を連れて新しい人生を楽しんでいるかもしれない。

 

私たち30代が育ってきた社会は、まだまだ女性の社会進出が今ほど盛んではなかった。

専業主婦の母親に育てられ、どんなに不出来でうざかったとしても、子供のために、家のために尽くすのが母親であるべきだと考える男性が、今、父親の立場になって、どんなに頭で女性を応援しようと思っていても体に染み付いた思想はそう簡単に変えられることではない。ましてや働き盛り、若手とベテランに挟まれた肩身の狭い30代、「今頑張らなければ」という焦りが余計に邪魔をする。まさに揺らぎの世代だと思う。男性もかわいそうだ。

 

焦ってもいい仕事などできない。

休みも休みとして楽しまないといいアイデアなど生まれない。

これは私が独身時代に仕事のできる人たちと仕事をしてみて学んだこと。

 

こんなに働かなければならない社会とはなんだろうと疑問でしかない。

 

私の父は私たち子供が生まれてからは、お風呂と晩御飯のために一度仕事を中断して帰宅してくれていた。それらが済むとまた仕事に戻る。自分の仕事の都合で全国転勤に付き合わせている妻と家族への、せめてものお返しで、「偉いね、お父さんは。」と言うと、「自分の家族なんだから当たり前だろう。」とただ一言だけ返ってきた。「職場で嫌な顔されなかった?肩身狭くなかったの?」と聞くと、「家族も守れない奴がろくな仕事なんかできるわけない。そんなの当たり前だろう。止められたらぶん殴ってやる。」とこれまた男らしい答えが返ってきた。しかもうちの母親は仕事などしていない、専業主婦だ。それでも支えるのは当たり前だと考えていた父。

 

そんな風に考えて行動のできる父親が、今、この社会でどれだけいるのだろう。

 

 

最近は疲れることが多かったので、いつもの芝生の太白桜の下にシートをひいて、息子と寝転がって日光浴をしていた。

 

寝っ転がって見上げるとすぐ目の前に太白桜の枝葉が広がる。

 

桜が満開の季節も綺麗だけれど、散りゆく間際、風に散る桜の花びらが雪のように芝生に積もって本当に綺麗だ。

 

毎日見ないと、毎日行かないと気づかない景色。

そんな些細な景色をきちんと見つめている人ってどれくらいいるんだろう。

 

甲府ではいろんなイベントが毎週のようにあって、見ているだけで疲れてしまう。

こんなに素敵な日常があるのに、これ以上何を望むんだろうか。

足元の日常も見えていないのに、何を伝えたいんだろうか。