僕が作ったトウモロコシが実った。
こうやってトウモロコシが出来上がって感慨もひとしお。地元の師匠に教えてもらいながら見よう見まねで、いろんな人の助けを借りながらなんとか出来上がった。甘くて、おいしい。僕のトウモロコシ。
農業は一人きりではできないと、改めて実感している日々。自然と向き合い、人と向き合い、自分と向き合い、こうして作物は出来上がる。
先月、甲府市の移住希望者向けツアーのお手伝いをした。
僕の畑でヤングコーンをもぐ体験をしてもらった。
参加した移住希望者に農家として、そして先輩移住者としてお話をさせてもらった。
一年前の僕は農業大学校で学んでいた。
そしてその一年前は神奈川に住んでいた。
その僕が今はこうして移住したいと思うかつての僕のような人達に話した。人生の面白さをしみじみ感じた。
そこで知り合った農業希望者の方たちが後日、僕の畑に農業体験にやってきた。
作業前になすの畑に連れて行った。トウモロコシの畑から少し離れている場所に畑を借りている。一年でお返ししなくてはならない畑。連作ができず、水もたくさん必要なナスを作るのにピッタリな畑を借りられた。
ここで、希望者の方たちに、説明しながら、自分も作業を確認しているのがわかる。
農業は繰り返し、繰り返し、繰り返し。その繰り返しは毎日同じではなくて、様々な要素が重なって、その場で対処しながら、そしてそれが全て学びにつながっている。
畑での作業を終え、午後は希望者の方と地元の農家の大先輩のお宅の農作業を少しお手伝いしに行った。そのお礼に赤ワインのプレゼントを頂いた。
農業体験は一日だけの予定が次の日も手伝いに来てくれると言ってくれて、2日連続で一緒に農作業を続けた。
こうして僕の畑に来ていただいたお礼は、今度お二人をを招いて僕の家に1泊してもらっていただいたワインをそのときに一緒に飲みたいと思う。
こうした縁のつながりを実感できる事、一緒に汗できるという事、農家冥利に尽きる、まさにそんな感じ。
移住したい、農業がしたいと思って僕のところに来てくれた人には、この過ごした時間を実りある時間に変えていかなければならないのは僕の責務。それはこの地に来た僕に甲府の中道地区の皆さんがそうしてくれたものだから。
僕とかみさんで作ったものを上げるフェイスブックを立ち上げた。僕らの農園の名は「Sunny Day Farm 」
農業初心者の僕たちが、土と仲良く働いていく様子を乗せて行こうと思う。
野菜の収穫が最盛期になるとそれを販売する実習が行われるが農家になるための要素が販売に散りばめられている。生産と販売はかけ離れているように感じるが、これが違う。
販売日は予め決められていて、そこに出す野菜を逆算して、いつ種まきするか、何を撒くか、どう育てるかを今までの栽培経験を基に皆で相談し決定していく、より実践に近い内容だ。
いくらで販売するか、目玉商品やセット販売の考案、告知はどうするか、目標設定、会場設営、割引券導入、会計方法などなど事前の打ち合わせを重ねて当日に備える。
そしてここで社会経験者の集団の英知が結集することを目の当たりにする。
例えばチラシ作りに卓越する人(元デザイナー)、
野菜の出来を判断して価格・規格を決定する人(元直売所運営者)、
販促用の試食を作る人(元調理師)、
全体を把握してデータに落とし全員に情報共有する人(元コンサル)、
会議を上手く進行させる人(元塾講師)、
レシピ考案する人
告知でSNSやラジオを活用する人、
日頃から早朝の栽培管理に勤しむ人、
外野でガヤガヤ騒いでいる人(あ、僕です)。
皆が力を合わせ販売日に備える。
本当に多くのお客様がいらして大盛況。不慣れなこともあり開始直後はカオス状態。
多くの野菜を多くのお客様に買っていただいて、更にその中のお客様が農大に電話して「皆さんが凄く親切で礼儀正しく生き生きして感動した。次回も買いに行く」と10分以上も感謝を伝えてくれたことを知り感動、そしてグッドな売上高に笑顔!
時には仲間とバーベキューでお疲れさん会。出てくる野菜は勿論農大生まれ!自分たちで作った野菜が並ぶ。皿に盛られた大量のキュウリを横目に肉と海鮮を交互に食す。
こうやって思い返しながら書いたが、ここに書いたことは、農大での学びや生活のごくごく一部。見えているものはまさに氷山の一角に過ぎない。毎日が新しい事の連続で細かいことを取り上げるときりがないくらい充実した9ヶ月となった。
でもこれは経験をしただけかもしれない。経験をしたことと、身に着けたことは別と考えたほうがいい。
ここでの経験を自分のものにするために自分の畑で実感したい。その時初めてものになると思うし、同時に自分の力不足を嫌でも知ることになるだろう。
八ヶ岳をバックに一枚。卒業が近づき雰囲気がしっとりしているのは気のせいか。
助け合う人の繋がりを「結」というが農業にぴったりの言葉だと思う。一人では農業は出来ない。農大で出会った人の繋がりと経験が今後の農業ライフの大きな活力となることを確信してここでの青春に幕を下ろします。ありがとうございました。最大の感謝を。
くたくたになって動けないよ、なんて言っていた日々も過ぎてしまえばあっという間。
僕は農業大学校を卒業する。
山梨に、甲府に、「農業をしたい」と考えて移住してくる、一年前の僕みたいなこれから農業を目指す人達の参考にしてもらうために書いておいたほうがいいから、書く。
農大での栽培実習について。
農大の圃場(圃場とは畑のこと)は大きく分けて慣行圃場と有機圃場がある。
同じ作物をそれぞれの圃場で栽培して、生育の違い、病害虫の出方、かかるコスト、販売単価などメリット、デメリットを比較して学ぶことができる。
栽培作業は種を撒く前からスタートする。
肥料撒きます
耕耘します
マルチ張ります
支柱立てます
文字にするとあっさりと簡単に感じられてしまうのが残念。
非常に残念なので栽培作業を説明するからお付き合を!
まず、どの肥料をどのくらい撒くか机で計算する。
(遠い昔の学生時代に習った数学は引き出しの奥底に閉まってあるので取り出すのが大変)
計算したら肥料は手で撒く。
種をまく時、風が強いと撒いてるのか飛ばしてるのか吸ってるのか、わからないくらい種が飛び散る。正確に測ったのがバカらしくなる。
耕耘はトラクターでスイスイ、な、訳はなく。
蛇行運転を繰り返したり、タイヤを土にめり込ませて大穴作ったり、ローラーででっかい山を作ったり。余裕にトラクターを乗りこなしている農家のおじいさんたちがどれほどすごいか思い知らされた。
マルチ張りの機械は、機嫌を損ねると張ったそばからマルチがヒラヒラと風で剥がされるので機械の後を追ってクワで土かぶせて手張りする、これじゃ始めから手で張るのと変わらない…。
支柱立てはまず支柱が土に入らない、固くて。誰かハンマー持ってきてーっとなって穴開けてそこに支柱入れるのだが、無理やり入ると支柱曲がる。
そんなこんなで悪戦苦闘しながらもなんとか仕上がった畑を見て、「俺たちいい仕事した」って気持ちよく汗を拭う、ってまだ種も撒いてないから(泣)
マルチ張る機械で仕上げた畝。
ちゃんと訓練すればここまで真っ直ぐ鏡のように綺麗にできる。(張ったのは僕のではない、人には得手不得手がありまして)
トンボが水面と間違えて卵を産み付けに飛来するからすごい!
そんなこんなを経て、種まきor苗を定植してやっと栽培スタート。
そこからは驚きの生長に目を見張る。いやこれ、雑草の話です。
雑草を手で刈る→間に合わなくなる→刈払機使う→間に合わなくなる→乗用モアで走りまくる→ちょっとやそっとの雑草は見ないことにするになる。こんな感じで雑草と付き合うようになる。
作物の生育をよく観察しながら適切な農薬散布だったり誘引、芽かきの管理作業だったりを先生の指導の元に行い収穫につなげていく。
収穫後はパッキング作業。トマトを箱に隙間なく並べていくのが至難の業。
丁寧に並べて市場に出荷すると驚くほど安値だった。
学校の出荷物ではあるがこれが新米農家の現実に当てはまると言われ動揺してしまった。
作物を採れたからって、どんなに手間暇かけたからって、それがその分のお金になるわけではない。
市場出荷に関してはそれなりの品質のものを継続して出荷することで信用が生まれ徐々に高値の取引になることを知った日であった。だから、農業は努力と汗と信用のたまものなんだと知る。
農大ではハウス建築もカリキュラムに含まれている。建築手順や雪害対策を習いながら組み立てていく。
ハウスを所有することは新規就農者にはハードルが高く、少しでも経費を抑えるために自分たちで建築することもあるだろうし、補修する場面も出てくるからこの実習は役に立つだろう。(写真奥の方で腰抜かしているのが僕です)
カリキュラムで忘れてはならないのが農家研修だ!
自分が栽培を希望する作物に合わせて先進農家・法人が設定され研修を受けるものでリアルな現場を経験できる。
ベテラン農家と一緒に作業し、農業を生計に、農業で食べて生きていくとはどういう事かを肌で感じられる。夢見る農業も生活が伴っていかなくては続けられないのだから、そのための先人の努力を教えてもらえる機会は貴重だ。
長年の試行錯誤の末に作り上げた栽培方法に触れ、利益をどう上げるか、お金の話に耳を傾ける。農業と天気、農業と自然、密接でその中で進めていくのだから、自然の脅威にどう対峙してきたか、それこそ、心折れるような途方に暮れることもあった事など、数々の苦労話を聞く。
「それでもやっぱり農業っていいよ」と聞いた時に、吹く風がこれまで以上に気持ち良く感じた。
農業という側面だけでなく人生そのものの哲学を教えてくれる農家さん。歯を食いしばり、我慢強く生きてこられた姿が何よりもお手本になる。この御縁を大切に後押ししてもらえるよう頑張っていこう。いつしか僕も人に与えられる農家になりたい、そう思わせてくれたことに感謝しかない。ありがとうございます。
農大は失敗しても会社ではないので咎められることはない。むしろ失敗して糧にする機会を与えられると考えることができる。夏の暑い時期にほうれん草や葉物など栽培して販売した経験がその後、これからの農業ライフにヒントを与えてくれるはずだし、そうなっている。
教科書には載っていない自由な発想を促す先生だったり、チャレンジ精神を生み出す仲間だったり、やる気をサポートしてくれる農大だったり、全てに感化されながら最高の環境で研修は進んでいった。
去年は「転機」という言葉そのものの、人生の一番大きな変化があった一年だった。
農業をするために移住を選んだからには、徹底的に農業を学ばなくてはいけない。
農業未経験者が農業を始める上でまず栽培知識を習得することが急務の課題であり、様々な方法がある中で僕が選んだのは、山梨県立農業大学校の職業訓練社会人コースだった。
社会人コースは9か月で、山梨県内の農業生産法人等への就職を目指し、農作物の栽培技術や農業経営に関する知識を習得する、実習ありきのコース。
https://www.pref.yamanashi.jp/noudai/shokugyoukunren.html
年々倍率が高くなっているが運良く面接に合格し学生に!(37歳で学生!!!何歳になっても一生勉強です)
県内の農業法人に就職することを目的とした職業訓練なのでゆっくりじっくりなんて言っていられない。
本来2年かけて学ぶカリキュラムを9ヶ月にギュッと詰めて猛スピードで駆け抜けるシステムで、そもそも農業をしたことのない僕が農家になるためのエッセンスを凝縮させて教えてくれるんだから、学ぶことが山ほどある。
農業に必要な基礎知識の習得となると多岐にわたる。
実習は農大にてトラクター、マルチャー、刈払機、管理機、運搬車など使いこなしながら野菜栽培、
週2日は農家に出向き一緒に畑仕事、
その合間に座学で肥料・農薬・病害虫・法律・獣害・流通・簿記・経営学の畳み掛け、
秋になると畑の野菜たちの声(肥料くれーとか喉乾いたとか虫来たよーとか暑いだの寒いだの)が落ち着き、
ホッとしたのも束の間、先進農家の視察がバンバン入り、
早朝4時台の市場の見学、
幕張の農業ワールドで圧倒され目を回し
そんなこんな、自分で作った野菜は自分で売りなはれと、販売実習(甲府駅周辺や小瀬の公園などで、野菜美味いよーさぁ買った買ったと喉枯れるやつ)が断続的にやって来る。
そして泣く子も黙るのが恐怖の訓練日誌。
今日やった作業を毎日の終わりに記録をつけるもの。なにが恐怖なんだ!なんだ簡単な事じゃんか!と、思うなかれ。
太陽を浴びながら汗だくになり、日中いじめた身体はもう、くったくたになる。そんな体に鞭打って震える手で書くこの作業は強靭な精神力を要する。(3週間分まとめて書くとかいかーん!授業中書くとかもいかーん)
そして農業生産法人の視察。
凄みに圧倒されること多々。いろいろ触れる中で、自分が歩む農業の形や、道が見えてきたし、迷いもするし。様々なスタイルがある事を知ると
またそれが僕の農業の基礎になっていくんだと思って影響受けまくり。
こうやって9か月を過ごした農大。
座学や実習で農業の基礎が身につく、それだけではないんですよね、農大は!
なによりもかけがえのない仲間との出会いが僕を成長させてくれたと思う。
出会う事が恐らく無かったであろう人たちが「農業」という接点で知りあった。泥だらけになり、汗を流し、野菜を作り、収穫する喜びを分かち合い、共に過ごす中でかけがえのない仲間になった。
それぞれが人生経験を重ね、僕の知らない世界を歩んできたおよそ50人の仲間。
彼らとコミュニケーションをとれば僕の知識と情報は50倍に膨れ上がる、農大の社会人コースの最大の特徴はこのネットワークだと確信できる。
仲間の年齢は20代から60代とバラバラ。男性4人に女性1人の割合。野菜コースと果樹コースに分かれ別々のカリキュラムをこなしていく。僕は野菜コースを選択した。
この写真は早朝自主的に集まって野菜づくりに勤しんでいるところ。
標高700メートルの北杜市にある農大の素晴らしい景色の中での作業。空気も澄んでいて夏は気持ちいい。
11月にもなると寒い。この頃には朝の野菜は凍るのが基本。
一年前にはこの仲間たちとここで農業を勉強しているとは全く想像出来なかった。僕のまた新しい農業という人生が動きだした。
それも仲間、同期がいる。それは、これからの人生のとても心強い支えになっていく。
縁によって出会った僕の新しい家をまず見てください。
玄関です。
立派な入口です。
こちらは横からです。
引っ越しの段ボールが 笑
8部屋、トイレ3つ、家具付き、倉庫付き。
ピアノとサウナまである使いこなせないスーパーハウスです。
2階からの眺めです。
こんな景色を今「自分の住むところ」から眺めているのが人生の不思議です。
こちらの写真は少し前ですが、練習用にお借りしている自分の畑です。
レタス50株を定植して食べきれないから横浜の知人にも送りました。
12種類の野菜を植え、時間を忘れて畑で遊んでいます。
子供も畑に連れていっては一緒にはしゃいでいます!
最終的にどのようにしてこの物件に出会ったかを一言でいえば「人の縁」です。
こういう物件は表に出ることは少ないですね。
僕は、まさに人の縁、紹介のみでたどり着きました。
移住をするといっても実際動き出すと大きく現実の壁とぶつかります。
住む家を決める。
これは大きな壁です。
ホームステイでお世話になった農家の繋がりで同じ地域の他の農家ご家族と知り合い、みなさんのお人柄や周囲の自然がとても気に入りました。
「ここに住めたらなぁー」と、漠然とした憧れみたいなものが大きく膨らみ移住を決めた。
そこまでは良くても、具体的な決め手を欠いている状態でした。
まずは不動産会社に問い合わせして住まいを調べることにしました。
物件をネットで選んでいるうちはいいのです。
でも、実際不動産会社とやり取りを始めると見えてなかった現実の厳しさが出てきます。
そうです、僕は無職です。
年齢は若いかもしれないけれど収入がない。
「これから農業学校通って就農します」って伝えると、ピシャリと門前払いのところもありました。
中には良心的な不動産さんがいて案内してくれましたが、アパート家賃は家族3人でとなると少なくとも「月4.5万円から」になります。
無職の自分には安くないです。
さらに倉庫、作業場、駐車場2台分もほしい。
子供が騒ぐといけないので平屋の一軒家がいいなどと言っていると、本当に皆無です(わがまま言ってスミマセンm(_ _)m)
色んなことを考えると、こりゃ農業どころの話ではないなと早速心が折れそうになりました。
にっちもさっちもいかず、とにかく現状をお世話になっている農家さんに相談すると、電光石火の如くお知り合いに連絡をいれてくれました。
そして数時間後にはお家の内見の約束まで頂けました。
部屋は十分な広さ、倉庫あり、駐車スペースあり、屋根、床もしっかりしている申し分ないところをご提供頂きました。
その後いろいろと調整を頂いて学校が始まる前に遂に地域住民として生活が始まったのです。
まずは家族を呼ぶ前に一人で引っ越しをしました。
これはその時の料理です。
単身で過ごしていた時のつたない男料理。
ご近所さんからのおすそわけと自分の収穫物でほとんど構成されています。
レタス1食1玉食べる、ウサギと化していました。
掻い摘んで、この物件にたどり着いた経緯をお話しましたが、この話はまさに、田舎暮らしの肝になる「人との縁。地域との縁」そのものだと思います。
この地域に入ってやり取りをさせていただいて、自分でいうのは恥ずかしいですが、僕を知ってもらって不信感を拭い、ご協力頂いた方に僕に対する「この人なら大丈夫だろう」「しっかりやってくれるだろう」という信頼というか、これからへの期待を持ってもらった事で成立しました。
そして僕を温かい目で見守ってくれて、様々な場面で助けてくれます。
ほんとに助かります。
嬉しいことだし同時にちゃんとやらなければと責任をずっしり感じます。
僕もそれに甘えるだけではない自立心と感謝の気持ちを常に持ちながら謙虚にしていこうと思います。
会社を通じて、普通に物件紹介してもらって住んでも、ここまで人に対する感謝や地域への気持ちは生まれなかっただろうし、人間らしさを感じることはなかったと思います。
こういうプロセスを経て入村してどっぷり浸かることで周辺の人との繋がりが一気に濃くなりました。
僕の人生はダイナミックに変わりました。
食生活、体調の変化、助け合い精神、口から出る訛、自然との付き合い、などなど。
とにかく全ての出発点は住まいを見つけること、そこにたどり着けば一気に移住に弾みがつくと思います。
自分の思う暮らしにたどり着くにはネットでは見つからない「生の人」のネットワークと、目に見えない信頼感の醸成が必要です。
僕が移住して住む家は人の気持ちが交差する場所でした!
市川です。
今年、甲府に移住しました。
甲府でも南の地域、中道地区の七覚というところに住んでいます。
まず、僕がなぜ移住を考えたかというと、ずばり「農業」がしたかったからです。
子どもが出来て「食」を考えるようになったら、自分の子だけでなく多くの子どものことも同様に考えるようになりました。
「安心安全なものを子どもに食べさせたい」そんな思いもあります。
だからこそ自分でちゃんと作りたいなと思います。
「農業をやりたいんだ!」
そんな思いを家族に話しました。
反対にあうと思ったら家族は賛成してくれました。
「よし、これが僕の『移住のタイミング』なんだ」と確信して、すぐに動きだしました。
鉄は熱いうちに打て、です。
もちろん不安もあります。
ですが「人生、面白いことをやってみよう」という漠然とした無計画さも大きな一歩になることがあります。
移住の情報を集めていたら、まずは身近なこの3県。
山梨県、静岡県、長野県の「移住相談会」という移住セミナーが有楽町であることを知り、とにかく行ってみました。
そのとき甲府市役所の人達と出会い、飯田さん、金子さん、成澤さんの3人が代わる代わる話してくれました。
写真がその時の様子で、手前のポロシャツが僕です。
もともと山梨の勝沼で親戚が果樹園を経営しており、子どもの頃、そこでお手伝いすることがありましたので、山梨に少し馴染みがありました。
自分の「農業をしたい」という思いだけで、家族の「人生を送る場所」を決めてしまっていいのか?そんな迷いを持っていたのも確かです。
「田舎暮らしができるのか」不安と「農業をやっていきたい」という僕の思い、そんな思いを話しました。
甲府市役所の方の出会いが縁だったのかもしれません。
この写真の時の移住相談会が、甲府市の企画する「就農体験ホームステイ」の参加者募集タイミングで、その場で申し込みしました。
そのホームステイのことが動画になっています。
この時はまだまだ漠然としていましたが、できた縁をつなぎ、その後何度か通いました。
地元の人がすごく親身になって話を聞いてくれました。
アドバイスをもらっているうちに、自分の気持ちはちゃんと移住に向いていて、中道にあるって思えるようになりました。
子どもが小さいので保育園と小中学校が近いこと(高校はどうしよう…まだ考えていません…勉強頑張れ息子よ)、病院など公共機関もまぁまぁあることなど生活面も考えて、甲府を選んで大丈夫だ、と思えるようになり、移住を決めました。
今は農業大学校に通っています。
毎日が忙しくて、目が回るようです。
でもどこか体も心も満足していて、楽しくて仕方ありません。
将来の目標は自分で作ったものを売る事ですから今はとにかく、いろいろ吸収したいと思っています。
あの出会いから半年で、今こうやって農業を学んでいるようになるとは思いませんでした。
出会いとタイミングに恵まれた僕の移住について、書いていこうと思っています。
とはいえ、家探しなどなど、いろいろ大変でした。
そんなところを次は書きます。
それでは皆様、よろしくお願いします。